市長コラム(平成29年分)

ページ番号1003734  更新日 平成29年11月29日

印刷 大きな文字で印刷

そば打ちの師匠は協力隊(Link2017年11月号掲載)

写真:地域おこし協力隊松永和義さん
そばを打つ松永和義さん

肘は曲げない!脇を締める!・・・。昨年12月の素人そば打ち四段位認定会を控え、厳しい指導をいただきました。私のそば打ちの師匠は松永和義さん。彼は妻の明美さんとご夫婦共に(五段位が最高の)四段位のそば打ちの名手で、地域おこし協力隊として大阪から来ていただきました。気象庁にお勤めの頃からそば打ちを始め、退職後は本格的にそば打ちを究め、素人そば打ちの全国組織である全麺協からのご紹介で、蕎麦の普及に貢献いただいています。

今は員弁健康センターで毎週、月土曜日にそば打ち体験会を、員弁町坂東新田で毎月、そばの会食会を開催され、毎週木曜日には、阿下喜ナーシングもものランチに十割そばを提供いただいています。私が合格できたのも、師匠のお蔭と感謝しています。

かけこみ寺への恩返し(Link2017年10月号掲載)

写真:かけこみ寺への恩返えし
報恩水道の民話が書かれている本

北勢町南中津原の行順寺に、寺にかくまわれた罪人が村人の念願であったマンボを掘り、荒地を美田に変えた報恩水道の民話が残されています。

江戸時代後期、罪を犯して追われ、傷ついた男が行順寺に駆け込んできました。住職は男に身元を尋ねることなく治療し、食事や寝床を与え、寺で暮らさせました。ある日、男は「水さえ引ければ荒地も美田に変えられるのに…」という村人らの話を耳にして、一人でマンボを掘り始めました。岩山を掘り進んで3年余り、村人から不可能とまで言われていた約二百メートルのマンボが完成し、荒地に水が注がれました。男はそれを見届け、村を出て、二度と戻らなかったと言われています。

このお話は平成12年、現在の住職、田代俊孝氏が絵本として出版され、員弁郡の各町、各小中学校の図書館に寄贈いただきました。是非、ご覧ください。

一口で笑顔に(Link2017年9月号掲載)

写真:いなべの茶っぷりん
店舗の想いが詰まった茶っぷりん

「いなべの茶っぷりんお披露目会」でいただいた6種類の茶っぷりんを親戚の家に持参しました。たまたま、保育所に通う孫ちゃん達も来ていて、子ども達にもお裾分け。しかし、プリンとは言っても抹茶風味。大丈夫かな?どんな反応をするかなと心配して見ていると、一口食べた瞬間、顔が緩み、それからは一気に完食。縁に残ったプリンを何時までも綺麗にさらえていました。

これ何処へ行けば買えるの?6種類まとめて贈り物にしたい!と聞かれました。しかし、これは別々のお店のオリジナル品。各店舗を食べ歩いていただくのも観光の魅力と説明しておきました。

いなべの特産品「お茶」を通して、連携の輪が広がっていることに感謝します。

絶版本を求めて(Link2017年8月号掲載)

企業誘致で中津川の食品会社を訪問した際、トイレの壁に一編の詩が掲載されていました。

「生きるとは」 芳村思風 著
人間において生きるとは、ただ単に生き永らえる事ではない。
人間において生きるとは、何の為にこの命を使うか、
この命をどう生かすかという事である。
命を生かすとは、何かに命をかけるという事である。
だから、生きるとは、命をかけるという事だ。
命の最高のよろこびは、命をかけても惜しくない程の対象と出会う事にある。
その時こそ、命は最も充実した生のよろこびを味わい、
激しくも美しく燃え上がるのである。 ・・・

この詩の出典を求めて、出版社を当たりましたが在庫がなく、図書館でやっと見つけてお借りし、母校の運動部の監督にも紹介したことがあります。書籍が書店に並ぶのは一瞬です。図書館の存在に心から感謝した瞬間でした。

乗車の心得 アトミヨソワカ(Link2017年7月号掲載)

写真:乗車の心得の看板
乗車の心得(2004年大泉駅)

大正3年、北勢線が開通した当時、駅舎には「乗車の心得」が掲示され、乗車マナーが示されました。その内容は、発車時刻には余裕をもって行動すること、手荷物は一つにまとめ棚か腰掛の下に置き、他人に迷惑をかけないこと、窓より首を出したり唾や物を捨てないこと、高齢者や子供に席を譲ること、酒に酔い乗り越しをしないことなど、今に通じることですが、中には「切符を帽子に挿むなどハイカラの真似をして、紛失して大騒ぎしないこと」など当時の情景が目に浮かぶユーモラスな表現もあります。

心得の最後に「車を下る時は必ず アトミヨソワカ と呪文を称ふること」と結ばれています。アトミヨソワカ とは、忘れ物を防ぐおまじないで、「ソワカ」とはインドのサンスクリット語で「成就あれ」という意味で、願い事をする呪文の最後に唱えることで、思い通りの結果が得られると信じられているそうです。

洒落っ気たっぷりの「乗車の心得」。100年以上走り続け、今も現役です。降車の際は アトミヨソワカ、アトミヨソワカ…

歴史のダイナミズム(Link2017年6月号掲載)

写真:発掘調査の様子
大安町での発掘調査の様子

宇賀新田の古墳群の発掘調査を三重大学に依頼したことがあり、そのご縁で人文学部の山中教授からいなべ市は古代史での重要拠点であったというお話を伺いました。この地は古代日本の畿内から周辺に設けられた三つの大きな関所のうちの二つ、鈴鹿関と不破関の中間に位置し、古代大和政権にとって、東国を抑える戦略的に重要な土地でした。その具体例が、大海人皇子、後の天武天皇が起こした壬申の乱で、まず、この地域を拠点に鈴鹿関を抑え、長男の高市皇子が不破関を抑えたことにより、諸国から兵を動員することができ勝利を収めることができました。日本史を大転換させた壬申の乱の作戦本部がいなべの地だったようです。

宇賀新田の発掘調査を契機に山中教授の教え子二名が市の職員として来てくれ、今も活躍してくれています。

書写と書道(Link 2017年4月号掲載)

写真:市長が書した作品「縁」
市長が書した作品

皆さんご存知ですか?いなべ市は学生の書写書道の分野で、ここ20年間で21名もの日本一を輩出している英才教育の地であることを!ご指導いただいている先生方に感謝申し上げます。一般的に学校教育で求められる「文字を正しく整えて書くこと」を目的としたのが「書写」で、昔は「習字」とも呼ばれてきました。それに対し「書道」は芸術の分野に入ります。芸術とは言っても基礎基本が重要なのは言うまでもありません。

私も年に一度、筆を持ち、市民祭に展示する色紙と格闘しています。自己流で決して褒められたものではありませんが、祖父も母も書道が好きでしたので、私も下手の横好きです。しかし、硯に向かい筆を執ると自然と背筋が伸びます。慌しい日常から離れ、静かに筆を執る時を増やしたいものです。

藤花源記(とうかげんき)(Link 2017年3月号掲載)

写真:梅林公園と藤原岳
藤原岳を背景にした梅林公園

平成15年、藤原町最後の広報のタイトルは藤花源記。古代中国の物語「桃花源記」をもじって名付けました。理想郷の代名詞ともなっている桃源郷を目指してまちづくりに心血を注いだ人々の姿が描かれています。その代表作が農業公園です。この地は三重用水の中里ダムの下に沈んだ深尾村の農地の代替地として始まりました。しかし、土地は痩せ、水利もなく、やっとできた農作物も獣害で荒廃し、さらに、産業廃棄物が追い討ちをかけました。その荒廃した土地を見事に再建し、桃源郷を作り出した、その立役者は地元の高齢者です。農業公園の企画から建設、運営は全て知恵の宝庫である高齢者の方々が担ってきました。今では梅と牡丹の祭りの期間中だけで約5万人が訪れる名勝となりました。さらに、今年はカメラマンのための展望台も整備していただきました。残雪をいただく藤原岳を借景に色とりどりの花の饗宴をご堪能ください。

献血で血液チェック(Link 2017年2月号掲載)

写真:献血後の休憩中の様子
献血後に休憩している様子

私の献血歴は学生時代から。当時、伯父が入院し輸血が必要となるかもしれないので献血を頻繁にしておけと言われ、毎月、献血バスに乗り込み、当時200mLの献血をし、当時の学生では普段、飲めないジュースを無料でいただき喜んでいました。

今も当時の習慣が続き、毎年3回400mLの献血を20年続けています。献血が終わると数日後、血液検査の結果が郵便で届きます。それが私の血液通信簿。コレステロール値の高い私は通信簿を見て一喜一憂しています。

いなべ市は進出企業やライオンズクラブのご協力により、20代30代の若い献血者が多い地域とお聞きしています。ご協力に感謝します。

八咫烏(ヤタガラス)(Link 2017年1月号掲載)

写真:ヤタガラスが描かれたハッピ
天白祭でまとうヤタガラスのハッピ

「いなべ」という名は天平の昔、この地を治めていた物部氏系の豪族「猪名部氏」に由来します。猪名部氏は優れた木工建築技術を持った集団で、猪名部百世(ももよ)は東大寺大仏殿の建立で棟梁も務めたと続日本紀に記されています。

また、最近では藤原町市場の長野政次さんが国の「現代の名工」に選ばれ表彰されました。さらに、この地には自動車や航空機など最先端の技術者が集い、「いなべには物づくりの神様が宿る」とも言われています。

さて、今年は酉(とり)年です。員弁町楚原・御薗の天白祭で華やかな山車を操るのは八咫烏(ヤタガラス)のハッピをまとった若者たち。3本足のヤタガラスは日本神話の中で、神武天皇を熊野から大和へ道案内をしたとされ、導きの神として信仰されています。ヤタガラスに導かれたいなべの皆さんが幸多い年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

このページに関するお問い合わせ

企画部 広報秘書課
電話:0594-86-7740 ファクス:0594-86-7857
〒511-0498 三重県いなべ市北勢町阿下喜31番地