市長コラム(平成28年分)

ページ番号1002128  更新日 平成29年3月9日

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皆のためのヒーロー・消防団(Link 2016年10月号掲載)

写真1
大会後、家族に囲まれ笑顔がこぼれる団員

「パパ、めっちゃすげえ!」幼い我が子の言葉に、満面の笑みを浮かべる消防団員。凛々しく機敏に動く父親の姿に驚きと憧れを感じたことでしょう。

消防団は職業としての消防士とは異なり、日頃はそれぞれ仕事を持ちながらのボランティア活動。しかし、日頃の訓練は欠かせません。増してや2年に1度の操法大会。出場する分団は員弁郡旧5町を順番に回っていますので自分の分団に回ってくるのは40年に1度という地区もあります。自分の現役時代に操法大会に巡り合い、しかも、選手に選ばれるのは名誉なことです。今回も半年以上続いた操法大会の猛練習、お疲れ様でした。選手のみならず、教官や練習を支える消防団、ご家族の皆さんに感謝申し上げます。

災害が発生すれば真っ先に駆けつけてくれるヒーロー・消防団。リオ五輪のNHKの応援歌の中で安室奈美恵が「君だけのためのヒーロー」と歌っていますが、消防団は正に「皆のためのヒーロー」です。

食物アレルギー(Link 2016年9月号掲載)

写真2
一人一人の除去食を準備しています。
除去してある食材も明記し、確実に
本人に届けます。

給食の現場で今、最も気を使っているのが食物アレルギーへの対応です。そば、落花生はもとより、えび、かに、卵に牛乳、小麦など・・・お米をアレルゲンとする子もいます。

まず、病院でアレルギーテストを受けてもらい、その結果を基に保護者と話し合い、原因となるアレルゲンを完全に除去した除去食を作ります。食材だけではなく、調味料にもアレルゲンが含まれていないか十分に確認し、混入を防いでいます。そして、食器にはその子の名前が明記され、一般の給食とは別に慎重に配膳されます。個人によってアレルゲンが異なるので、世界で1つの特別メニューです。現在、約50人に1人の割合で除去食を実施しており、年々増加しています。

安全性を第一に、日々、美味しい給食を提供していただいていることに感謝します。

自転車に優しいまち(Link 2016年8月号掲載)

写真3
安全確認して横断する親子

自転車を運転していて恐い思いをされたことはございませんか?自動車に煽られ転倒しそうになったことや、大型車両に巻き込まれそうになったことなど…。先日、自転車の愛好家で、ツアー・オブ・ジャパンにご協力いただいた方から、「自動車のドライバーに、自転車にもう少し配慮するよう啓発してもらえませんか」と言われました。なるほど、私自身、最近の幹線道路は恐くて自転車を運転する気になれません。私も高校時代は桑名までの往復30キロメートル、大安町時代は平成11年から合併までの5年間、交通安全啓発のために宇賀までの15キロメートルを毎朝、自転車で通っていました。しかし、先日のツアー・オブ・ジャパンの練習は員弁街道を避け、山麓道路にしました。

いなべの道路にも華やかなサイクルジャージーに身を包み、スポーツバイクを操るサイクリストが増えてきました。彼らが安心して安全にサイクリングを楽しめるためにも「自転車に優しいまち」でありたいものです。

後悔する前の検診(Link 2016年7月号掲載)

写真4
体内の臓器を検査する内視鏡の先端

私の兄はアメリカで空手の道場を営んでおり、頑健そのもの、検診など受けたことなどありませんでした。しかし、一昨年、60歳で大動脈破裂。人工血管を移植し、一命を取り留めたものの、健康を過信していたと悔いていました。

一方、市内のある人は胸部検診で肺に影があると言われ、タンを取って精密検査。肺がんとわかり直ぐに手術。幸い、早期だったので他に転移はなく、もう5年様子を見ています。あの時、検診を受けていなかったらこんなに軽くはすまなかったと胸を撫で下ろされました。この人のように毎年数名の人が検診でがんを発見されています。しかし、がんと言っても最近では、早期に発見して治療すれば、ほぼ完全に治ります。肝心なのは早期に発見できるかです。

誰しも健康で過ごせることが何よりの幸せです。過信せず、病気になる前に自分の体を少し気遣ってみませんか。

いなべは名コース(Link 2016年6月号掲載)

写真5
養泉寺(北勢町川原)前を選手が一気に駆け抜ける

農業公園から川原に抜ける狭い激坂、下相場のヘアピンカーブ。こんなコースで国際レースできるんですか?と尋ねてみたところ、「これが魅力の一つです。単調な道路ではできない駆け引きや戦略が問われる名コースです」と返答をいただきました。最近、この名コースを走ってみようと多くの自転車愛好家がいなべに来ています。そこで、1キロメートル毎に標識を設置し、プロ選手との時間差や距離の確認に役立てていただければと考えています。

また、4月30日(土曜日)にはキナン・カップレースが農業公園で開催され、小学校での自転車教室と共に大会気運を盛り上げていただきます。地元の自治会も大きな看板を設置し、歓迎準備は万端進められています。

あの感動をもう一度(Link 2016年4月号掲載)

写真6
平成22年、夏の甲子園のアルプススタンド

平成22年夏の甲子園、アルプススダンドを埋め尽くした大応援団、テレビに映し出される選手の一挙手一投足に釘付けになった市民、みんなの心が一つになった瞬間でした。「いなべ」が全国に報道され、市民の一人として誇らしい気持ちになったのを覚えています。遠くの知人からもメールをもらい「いなべ、頑張ってるね」と激励の言葉をいただきました。

そして、再び感動の舞台の幕が開きます。市を挙げての応援で、再び、あの感動に浸りたいと思います。

いなべの食材に新たな魅力を、いなべの若者に新たな夢を(Link 2016年3月号掲載)

写真7
耕作放棄地を活用したマイファーム
(農業ビジネススクール)の取り組み

なぜ、今、新庁舎が必要なのですか?現在の4つの庁舎は建設されて30年から40年経過して老朽化していますが、今直ぐに建て替える必要はありません。しかし、この先、20年の間には必ず建て替えか、大規模改修が必要です。一般的に庁舎の建て替えには国からの財政支援はありません。唯一、合併した市町村に与えられる特例、合併特例債があります。この特例を利用しますと約3分の1の自己負担で建設が可能です。その期限が平成30年度に迫っています。そこで、期限内に新庁舎を建設し、今の庁舎を図書館や福祉の事務所として利用し、更に古い郷土資料館や旧幼稚園などを廃棄することによって、全体として効率的な運営を目指すものです。

また、新たなに保健センターを建設することにより、プライバシーに配慮した健診や障がい児の療育を始めたいと考えます。更に、農業後継者を育成する農業のビジネススクールを誘致し、この地に合った栽培方法だけでなく、加工や販売もサポートし、農を志す若き就農者が集う庁舎を目指します。また、地方創生事業として、庁舎に隣接する森に大都市でも屈指のシェフやパティシエを誘致し、いなべの食材に新たな魅力を、いなべの若者に新たな夢をもたらし、大都市からの誘客と移住の拠点にしたいと考えます。

市民活動(Link 2016年2月号掲載)

写真8
市民活動団体が集結するスマイルフェスタ

「ここに来ると張り詰めた心が緩み、ホッとできるひと時です」。日々、ご自宅で家族を介護し続ける在宅介護者家族の会「だいふくの会」でのお話です。一般的に行政サービスは年々膨張し、多岐にわたります。それでも多様化する市民ニーズには応えきれていません。その溝を埋めてくれているのが、市民活動です。

不登校で悩む親と子どもの会「トライアングルハーティー」もその一つです。同じ境遇の仲間に話を聞いてもらうだけで、心が和み、元気になれます。みんなでお茶をしながら、時には外に出かけてリフレッシュはいかがですか。不登校と言っても、その内情は千差万別です。4人の少女グループの1人が習いごとの違いから次第に仲間はずれになり、学校に行くのが怖くなり不登校に…。ある朝、突然、腹痛に襲われ、その後、学校へ行こうとすると腹痛が襲い、いつの間にか不登校に…。代表の水元優子さんに「どうか独りで悩まないでお気軽に声をかけてください」とお話いただきました。市民のニーズに直結した市民活動を続ける皆さんに心より感謝申し上げます。(トライアングルハーティー 連絡先:090-1724-8126)

 

サルの恩返し(Link 2016年1月号掲載)

写真9
鳴谷神社の狛猿(こまざる)

いなべ市が誕生して13年目の新春を迎えました。この間、市民の皆さんと職員が一体となってご尽力いただいたお蔭で、数多くの県一位、全国一位の事業が生まれています。次の課題は地方創生、大都市から地方に人の流れを変えることが求められています。いなべの自然や風土、農や食に磨きをかけ、新たな魅力を発信し、いなべに賑わいを創ります。交流人口を定住人口につなげ、住む人がこの地に誇りと愛着を持ち、安心して暮らせるまちづくりを進めます。

ところで、もみじ祭りで有名な藤原の聖宝寺に「サルの恩返し」というお話が言い伝えられています。平安の昔、一人の旅のお坊さんがこの地を通りかかったところ、一匹のサルが罠にかかりキーキー鳴いていました。かわいそうに思ったお坊さんはそのサルを助けて逃してやりました。さらに、お坊さんが歩いていくと、今度は村人がしくしく泣いていました。悪い疫病が流行り、村人が一人、また一人と亡くなっていくと悲しそうに村人は話してくれました。次の日の朝から、お坊さんは小高い丘に登り、天に向かって「どうか村人の病が治りますように」とお祈りをしました。お祈りを始めて3日目の夜、山の彼方から紫色の雲に乗った観音様が現れ、「ここより先に大きな滝がある、そのそばに寺を建て観音様をまつるがよい。そうすれば村人の病は治るであろう」と言い残し、山の彼方に去っていきました。お坊さんは観音様の言われる通り、滝のそばに寺を造り始めました。それを見ていたいつかのおサルさんは、助けてもらった恩返しにと仲間を連れてやって来て、お寺造りに励みました。やがて、村人たちも手伝いに集まって来て、お坊さんとおサルさんと村人が「力と心を合わせ」立派な観音堂ができました。それからというもの、村人の病気もすっかりなくなり、村に平和が戻りました。この観音堂が藤原の聖宝寺、このお坊さんが伝教大師(最澄)と伝えられています。

今年は申(サル)年。サルは恩返しに、村人たちと力を合わせ、心を一つにしてお寺の建設に尽くしました。誰しもが胸を張って誇れる「いなべ市」の建設に全力で取り組む所存です。引き続き、ご理解ご協力を宜しくお願い申し上げます。

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